2016年12月31日土曜日

【質問コーナー2】どうして沖縄をテーマにした作品が多いのか

質問コーナー2  どうして沖縄をテーマにした作品が多いのか

会場で寄せられた、また展覧会に来ていただいた方から寄せられた質問です。
実はなぜ沖縄か、ということは家族にも語っておらず、資料も残っていないのです。

●作品集 木綿麗容  および作品の製作年より
「私が大好きな沖縄」
「様々な織物が生まれた気候風土に触発されながら、頭の中にはこれもあれもと織物で表現したいものがあります。例えば与那国島の波と海というモチーフも・・」

とあります。秋子さんは多様な織物がある沖縄に刺激をうけ1960年(昭和35年前)から足しげくかよっていました。年代は未確定なのですが、おそらく風通織と前後して沖縄の絣、花織も作成しています。一方でこうも残しています。

「織物には気候風土と密接に関係しています。それを理解しないままに、私が沖縄を好きだからと、その土地の生地をそのまま織っても、ただの物真似にしか過ぎません。なぜこの織物がその地域で発達したのか、ということを大切にしながら、これからも木綿風通を織りたいと思っています」

沖縄の気候風土、それを基にした織物に触発をうけたので沖縄をテーマにした織物が多かったのではないでしょうか。

あとは家族の推察です。

●長男より
私の父である秋子さんの長男より。
「やはり戦争の影響ではないだろうか。自分たちの子育ての手が離れた時、まずまだ復帰前、復興前の沖縄に目を向けた。沖縄の子供たちに、本を贈る活動などもし、また織の復興に苦労されていた芭蕉布の平良敏子さんとよくやりとりをし、支援もしていた。戦争の惨禍にあった沖縄に対してあつい思い入れがあったのでよく通っていたのでは?」

●嫁より
私の母より
「沖縄は好きだったよね。。亡くなる直前も沖縄に最後に行きたいといっていた。沖縄の風土に恋していたみたい。中国と日本、琉球が混じった風土が、育った北京の租界に似ていたからかな。」

●孫より
「沖縄に一緒にいくと、ぴたっとはまる感じがあった。いつもちょっと周囲との違和感があったおばあちゃん。12歳で最初の小学校をやんわり放校になったおばあちゃんが、ぴたっとはまる場所が沖縄だったなあ」は

実際のことはまだわかりません。

写真は沖縄に行く前、織を始める前のろうけつの作品。もっとも古い染めの作品。
昭和30年代初期かと思われるが詳細は不明。




2016年12月10日土曜日

【質問コーナー1】どうして絵画から染織の道に進んだのか

しばらくは会場でよせられた質問に、資料とマゴの主観からでお答えします。

1.どうして絵画から染織の道に進んだのか
会場で二郎太先生のファンの方から伺ったご質問です。

作品集「木綿麗容」には「私は若い頃、絵描き志望でした。しかし先の大戦で、その価値観は大きく変わってしまいました。人間らしく生きるためには、自分で食べるもの、着るものなど一番基本的なモノづくりができなければ駄目だと。そして選んだのが、絵画と同じように色が使える手織物です」とあります。

また昭和61年の福岡女子大学の同窓会報には直接的な言葉があります。
「戦時中二人の息子を育てながら私が子供達の残せるものは何だろうと真剣に考えるようになりました。・・・・略・・・・人間と動物の違いは何だろうと考えているうちに人間は、道具と手足を使ってものを創り出す事だと思いあたりました。動物は・・略・・・道具を使って何かを創り出すことはできませんよね。それは人間にしかできない事だと思いました。この戦争で生き残ることができたら、素材そのものを使ってものを創り出す仕事をしようと思い、繊維を選びました。」

細い身体の夫が出征した後、安全と言われた市ヶ谷から福岡に疎開。さらに福岡県南部の羽犬塚に疎開するも、幼い息子と機銃掃射にあった秋子さん。息子の、つまり私の父の最初の記憶は大牟田大空襲で赤く燃える夜空でした。自慢の兄も、裕福な実家も、新婚の家も、作品も灰燼に帰し、石だけが残りました。

この戦争で生き残ることができたら、ものづくりをしよう。
人間が人間である証明としてものづくりをしよう。
それには絵画に近い染織が入りやすい。

それが染織を始めた理由だったと思います。






2016年12月4日日曜日

【記事紹介】新聞、WEB等での展覧会紹介

新聞、WEB等での展覧会紹介はこちらです。


〇新聞

西日本新聞夕刊
2016/11/28付 西日本新聞夕刊

〇WEB

ART AgendaA

Fukuoka Museum Info 福岡ミュージアム情報

キレイライフプラス 九州のとっておき

かたらんね

サンデー新聞WEB



【関連展覧会】直方谷尾美術館 山喜多二郎太特集


直方市の直方谷尾美術館でも山喜多二郎太生誕120年を記念して展覧会が開催されています。会期は同じく1月29日までです(休館:月曜、12/20-1/3、1/17-1/21)。ロマンある建物も素敵ですね。ぜひ県立美術館と合わせてごらんください。

また県立美術館の会場では、2011年に直方谷尾美術館開館10周年記念企画「山喜多二郎太展-和合の心」の図録を販売しています。直方の皆さんが二郎太先生を大切に思う気持ちであふれた画集でした。コピーは「あした、母に会いに行こう!」



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2016年12月3日土曜日

【記事紹介】日経新聞夕刊12月2日 竹口さんの端正な記事

12月2日の日本経済新聞の夕刊文化面「アプローチ九州」に展覧会の紹介記事が掲載されました。

書かれたのは、竹口浩司さん。二郎太先生を経糸に、秋子さんを緯糸にした端正な記事。
「自然の一片からもう一つの自然を出来させるというわざは、安易な自己表現から一線を画している」

竹口さんは福岡県立美術館の学芸員として、ずっと秋子さんの展示を考えていてくださいました。一緒に、「もう一人のマゴ」としてあちこちをまわったのも楽しかったです。途中で広島現代美術館に転籍されたのですが、展覧会初日にきて、じっくり書いていただいて、とても嬉しいです。







自己紹介

2016年秋福岡県立美術館で開催されるコレクション展Ⅱ[山喜多二郎太と高木秋子展の個人的紹介ブログ。高木秋子の家族が書いています。管理人mai