2016年10月29日土曜日

風通織

さて、今回の展覧会で展示される作品の8割近くが木綿で織られた「風通織(ふうつうおり)」という織になる予定です。

この風通織は一見、1枚の布にみえますが、2枚の布が柄の部分で合わさっており、よく断面を見ると二重の袋になっているという織です。秋子さんは福岡県の浮羽地方で織られていた風通絣という絣の端切れをほどきながら考えて作っていったと聞いています。

最も基本的な平織では、2本の脚で、2本の踏木を交互に踏み、その合間に緯糸(よこいと)を通して織っていきます。しかし風通織では2本の脚で8本の踏木を32回パターン踏むと、9個の格子ができます。両面あるため16×2で32回です。さらに経糸は8つのそうこうという枠に間違いないようにセットしていかないればなりません。このそうこうは全部で2640本あります。

さらに晩年、糸はどんどん細くなっていきました。その分切れてしまうのです。

そこまでして作りたかったもの、表現したかったものは何だったのか。よく考えます。


風通織の写真 日本工芸会会長賞受賞作「勿忘草」(2007)の端切れ。正式に命名された最後の出品作。まんなかに糸がうつっています。





参考 木綿麗容


2016年10月27日木曜日

織のざっくりした過程の説明


織というと、機に緯糸を道具(杼(ひ)といいます)を通し、とんとんとする、というイメージがあるかと思います。この段階は秋子さんに言わせると最後の2割だそうです。

私の超おおざっぱな理解によると、秋子さんの場合、この織る過程は

・デザインを考える(6,7年間かかる) ★大事★
・糸を染める    (だいたい1~2週間)
・糸車等をつかって緯糸を巻き取って準備する。また経糸も糸枠に巻き取る
・整経台をつかって経糸を整える 
・経糸を機にセットする ★一番大変★ 2週間かかる  ここまでで8割

・織る

となります。

私は3番目の糸車を使うことは子供のころ少しさせてもらったことがありますが、すぐ絡まってしまったり、うまくきれいに巻けなかったり、切れてしまったり。とてもろくにできたためしがありません。結果、全然覚えずに大きくなってしまったのでした。

染めた糸、糸枠、杼










2016年10月25日火曜日

木綿の作品を画像に残すということ2 花村さんのお話し


「おうちに伺うのは楽しかったです。いくらでもお話しができてました。」

祥文社印刷の花村さんは、名刺の肩書とは少し離れた柔らかい風情でそうおっしゃいました。

「おうちにうかがうでしょう。庭のうぐいすや野鳥が立ち寄れるよう、果物をさしておられましたよね。
『今年のうぐいすはへたくそなのよねっ』などと言われていました。エネルギッシュでお話しがおもしろくて。」

「昼夜織は裏表の色が昼と夜みたいに違うから名前がついたのよ、といったいろいろなことも教えてくださりました。」

「木綿麗容を作るときは、自由にさせていただきました。原寸大を掲載したらという提案も受けてくださいました。安いものではないので、納得のいくまで作っていただくのも使命とおもって、お付き合いしました。私はそれまで工芸や着物に縁がなかったのですが、高木先生が縁をくださったと思います。」

お話しを聞いていると、居間が、織機のある作業場の空気がみえてくるようでした。維持できず壊してしまったのですが。時間をかけて温度を下げたお湯で入れた緑茶がでてきて、あの特徴ある話声が聞こえてくるようでした。 

お話しありがとうございました。

作業場の裏に咲いていた秋明菊の子孫。




2016年10月22日土曜日

木綿の作品を画像に残すということ1 ~木綿麗容デジタル化へむけた御礼

2001年に、秋子さんは「木綿麗容」という作品集をつくりました。死んだとき配ればいいわー、遺書がわりよーと私にはかるいかんじで告げていました。
今、作品の細い糸までうつした写真と印刷の質感の再現性、まるで論文のように書かれた具体的な織の技法、染色に対する化学的な知識などにようやく気が付いているところです。

今回の展覧会をきっかけに、この作品集に使われたフィルムのデジタル化とブログでの公開を進めています。

しかし確認してみて気が付いたのですが、フィルムは4の5といわれる11cm以上の大きなもので、私の手におえるものではありませんでした。県美の学芸員の魚里さん、アルバスのカメラマン酒井さん、作品集のデザイナー ミタスデザインの西山さん、そして監修の祥文社印刷の花村さん、、、皆様のアドバイスとお力添えにより、デジタル化が実現しつつあります。

進めてみるとほぼすべての作品が販売したり寄贈して家族の手元にはないこと、暑い場所で保管していたので劣化の可能性もありうることがわかりました。今しかありませんでした。ご協力いただいています皆様に改めて感謝申し上げます。

また、作品集に向けてなみなみならぬ熱意を秋子さんが持っていたことを実感しました。木綿は写真では風合いを表現するのが難しい、という話はきいていました。この作品集では撮影、デザイン、印刷まで、相当つっこんだやりとりが繰り返されたのではないかと思います。「満足いくまでお付き合いするのが私の仕事だと思いました」と花村さんがおっしゃられていたのが心にのこりました。

写真は残されていた色校とフィルム








2016年10月18日火曜日

大事なものは気が付かず記録にも残していない

どんな風に風通織を織っていたか紹介してみて、と友人に言われて、書こうとしています。

でも、もっとも集中すると本人が書いている経糸を機にセットしている姿は全く残っていませんでした。染めている姿、整経台にかけている姿もです。私はそもそもこれらを見たことがありません。
見たことがないのか、見ようとしなかったのか。

織っている姿は知っています。正確に言うと音を聞いていました。とーん、たったっという音が泊まった朝の布団の中、隣の部屋から聞こえていました。でも織る姿も、見たことはほとんどないのです。鶴の恩返しのように。

外国人の友人を兄が連れてきて、デモンストレーションをしてくれた、その時の写真だけが残っていました。

 


2016年10月14日金曜日

最後のデザインスケッチ

秋子さんが作品を作るときは、色鉛筆でイメージを描き、横に数字をかいてメモをつくっていました。

写真はなくなる約3週間まえの作品アイデアの写真。名古屋の若い風通織の方とお会いし、刺激をうけたと話していました。いつも正確にえがかれている柄がちょっと横になっていたり、数字が大きかったりしています。

亡くなったあと、経糸(たていと)をととのえる整経台にとめてあったメモの字はひどくよれていました。でも、一番労力をつかう経糸の準備はすんでいました。





2016年10月13日木曜日

協調性には良くも悪くも重きをおかない


二郎太多先生に教わっていた当時、おそらく着ていたと思う着物が我が家にのこっています。赤、青、黒、白、黄色の竹林を模したサイケな柄。学生時代は「ブラジレイロ」へコーヒーを飲みに行っていたと私は聞いています。これを着て、博多の街を闊歩し、芸術談義をしたのでしょうか。

博多町屋ふるさと館で女専の学生の絵をみたことがあります。確かウグイス色、しぶいむらさき色の単色のきものに紺のはかま、でした。
どれほど学校でういていたことでしょう。人と違うことをおそれないひとでした。

協調性には良くも悪くも重きをおかないひとでした。





2016年10月12日水曜日

人間らしく生きるため私は絵を描くように木綿に向かいます


山喜多二郎太と高木秋子(これからブログでは二郎太先生と秋子さんと呼びます)は福岡県立女子専門学校(現福岡女子大学)で、美術の先生と生徒として出会いました。

おそらく、その後の家族同士の付き合いから、学校を離れて個人的にも授業も受けていたのでしょう。そのなかで二郎太先生の「キモノ少女」(現福岡市立美術館蔵)という秋子さんをモデルにした作品などが生まれたのだろうと思っています。今度の展覧会に向けて家を探している中で高木家から未発表の共作も見つかりました。

秋子さんは先生の教えをもとに絵を描きつづけ、絵描きになろうとフランス留学まで試みていたのですが、戦争がおき、移動につかう予定だったシベリア鉄道が使えなくなったため留学を断念します。

戦後、あまりに多くのものを失った秋子さんは人間らしく生きるためには、自分で食べるもの、着るものなど、一番基本的なモノづくりができなければだめだと、染織をえらびます。染織は色をつかい今まで努力してきた絵にちかいので。

それから30年以上をかけ、風通織という織を生み出します。それは抽象絵画であり、美術品であり、そして木綿という日用品でした。

タイトルは木綿麗容という秋子さんが編んだ本の冒頭にある文です。







山喜多二郎太と高木秋子展のご紹介

この秋、福岡県立美術館で、「コレクション展Ⅱ特集: 山喜多二郎太と高木秋子展」が開催されます。

師弟にあたる二人が、2017年それぞれ生誕120年、100年にあたります。それを記念し
2人の芸術を始めて関連づけて紹介する展覧会です。


このブログでは、高木秋子の家族、主に孫のmaiが中心になって、展覧会の情報や家族からみた思い出、作品についてお伝えします。

【展覧会情報(予定)】

会期:2016年11月19日(土)から2017年1月29日まで

場所:福岡県立美術館 

福岡県立美術館所蔵の山喜多二郎太と高木秋子の作品を中心に展示の予定




自己紹介

2016年秋福岡県立美術館で開催されるコレクション展Ⅱ[山喜多二郎太と高木秋子展の個人的紹介ブログ。高木秋子の家族が書いています。管理人mai