質問コーナー2 どうして沖縄をテーマにした作品が多いのか
会場で寄せられた、また展覧会に来ていただいた方から寄せられた質問です。
実はなぜ沖縄か、ということは家族にも語っておらず、資料も残っていないのです。
●作品集 木綿麗容 および作品の製作年より
「私が大好きな沖縄」
「様々な織物が生まれた気候風土に触発されながら、頭の中にはこれもあれもと織物で表現したいものがあります。例えば与那国島の波と海というモチーフも・・」
とあります。秋子さんは多様な織物がある沖縄に刺激をうけ1960年(昭和35年前)から足しげくかよっていました。年代は未確定なのですが、おそらく風通織と前後して沖縄の絣、花織も作成しています。一方でこうも残しています。
「織物には気候風土と密接に関係しています。それを理解しないままに、私が沖縄を好きだからと、その土地の生地をそのまま織っても、ただの物真似にしか過ぎません。なぜこの織物がその地域で発達したのか、ということを大切にしながら、これからも木綿風通を織りたいと思っています」
沖縄の気候風土、それを基にした織物に触発をうけたので沖縄をテーマにした織物が多かったのではないでしょうか。
あとは家族の推察です。
●長男より
私の父である秋子さんの長男より。
「やはり戦争の影響ではないだろうか。自分たちの子育ての手が離れた時、まずまだ復帰前、復興前の沖縄に目を向けた。沖縄の子供たちに、本を贈る活動などもし、また織の復興に苦労されていた芭蕉布の平良敏子さんとよくやりとりをし、支援もしていた。戦争の惨禍にあった沖縄に対してあつい思い入れがあったのでよく通っていたのでは?」
●嫁より
私の母より
「沖縄は好きだったよね。。亡くなる直前も沖縄に最後に行きたいといっていた。沖縄の風土に恋していたみたい。中国と日本、琉球が混じった風土が、育った北京の租界に似ていたからかな。」
●孫より
「沖縄に一緒にいくと、ぴたっとはまる感じがあった。いつもちょっと周囲との違和感があったおばあちゃん。12歳で最初の小学校をやんわり放校になったおばあちゃんが、ぴたっとはまる場所が沖縄だったなあ」は
実際のことはまだわかりません。
写真は沖縄に行く前、織を始める前のろうけつの作品。もっとも古い染めの作品。
昭和30年代初期かと思われるが詳細は不明。
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