2017年5月6日土曜日

工芸はそもそもの始まりからして社会性を持っている

よい天気ですね。無事、展覧会が終わり片付けながらぼんやり過ごしています。作った端からすぐ次、すぐ次と進んでいった秋子さんにはちょっと追いつきません。

広島現代美術館学芸員の竹口浩司さんの展覧会の感想がとてもありがたかったので、掲載許可をいただきブログにも転載します。

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先日ある工芸作家が語ってくれたこと。「作家は自らの表現に何らかの社会性を託さねばならない。つまり作品を社会に開くということだ。その意味では、工芸はそもそもの始まりからして社会性を持っている。なぜならそれらは用を満たしているのだから。しかし、そのことを意識してつくっている工芸作家は、近頃ではほとんど稀なように感じられ、とても遺憾である」と、そういうようなことだった。

昨日、福岡女子大学の図書館内で展示されている染織家・高木秋子さんの着物や資料を見て、その言葉を改めて胸に刻むことができた。絵描きを夢見ていた一人の女性が、戦争を通過して、織の道を志す。そのことを意味を、ぼくらは改めて考え直さないといけない。彼女が(福岡女子大学の前身である福岡県立女子専門学校で)学んだ家政学とはどういう学問であったのか、彼女がなぜしばしば沖縄の風物をモチーフにしたのか、彼女が風通織という織に見出したものはなんだったのか。

高木秋子さんのご遺族が中心になって企画された小規模な展示ではありながら、考えるところの多いものでした。会期は4月28日まで。関心のある方はぜひ。

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写真は昨年夏のフィンランド デザイン博物館です。写真撮影可能など、展覧会にあたって影響をうけました。
おしゃれな北欧デザイン、福祉の国は一方で1944年に多額の賠償金を背負って初めてようやく独立国家になった、資源も土壌も日照時間もすくない国でした。国が生き残るためものづくりをこころざしたのは、秋子さんがものづくりをこころざしたころと、同じ時期だったでしょう。
おしゃれな食器と展示してあるのは毒ガスマスク、マリメッコのワンピースと一緒にあるのは作業着です。ものづくりとは、デザインとはこの国にとってどういうものだったか。
忘れられない展示です。












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自己紹介

2016年秋福岡県立美術館で開催されるコレクション展Ⅱ[山喜多二郎太と高木秋子展の個人的紹介ブログ。高木秋子の家族が書いています。管理人mai