二郎太先生のエピソードで私が面白いなぁと思うのは次のような「反抗」エピソードです
・東京芸術大で藤島武二 門下でありながら、藤島先生に反抗して教室を出ていってしまう
・友人たちが皆フランスに留学するものだから、一人中国にいってしまう
・帝展の自身の初入選作品に対して「これは帝展芸術と申すものです。自己の芸術はいつ作ってお目にかけますことやら」と言い切る
・戦時特別文展に平和な農村風景をだし、画面の片隅のトンボを指さして「飛行機を描いているから戦争画だ」とこれまた言い切る
似ている師弟です。私も、近しいものを感じます。
先生は「反抗」したままで終わらず、昭和初期から福岡市にアトリエや研究所を構え、福岡の後輩たちの指導にあたりました。この頃、秋子さんも二郎太先生に習っています。残った写真や成績表から福岡県立女子専門学校の課外活動と、アトリエ双方で習っていたようです。その後二郎太先生は福岡県美術協会の創立委員になるなど指導的立場として福岡県の美術の基礎を築き、戦後は美術の重鎮として活躍していくのです。
はる 1962年 福岡県立美術館蔵
参考:福岡県立美術館ニュース とっぷらいと64福岡県美術家列伝 山喜多二郎 西日本新聞 2007.8.7 「展覧会 山喜多二郎展」
作品引用:福岡県立美術館ニュース とっぷらいと104号

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