秋子さんは生まれてから12歳まで、北京の租界ですごしました。辛亥革命から満州事変前夜という中華民国の時代でした。世界中から野心あふれる人々が集う、怪しい、きな臭い、魅力的な人種のるつぼ。。私の曾祖父倉田康太郎も、そんな野心ある一人だったのでしょう。経営していた倉田病院は外科の病院でしたが、非公式に人々が交差する情報基地でもありました。我が家にいまもある清の玉、外務省の高官のカフス、そして宮崎滔天が名付け親の兄と陸軍の大将の娘と結婚した叔父。
北京租界での日々、そこで出会った人々というのは、秋子さんの行動・感性・感覚の基本になっていました。沖縄を中心にアジア全体に旅をし、モチーフと技術を追い求めたのもその影響があったと私は考えています。
今回の展覧会で展示されている「柳あおめる」という作品は経浮織といい、中国奥地で出会った織をもとに秋子さんが開発した織です。この中国奥地旅行の際、中国語を勉強し、北京時代の同級生の力をかり、かつての実家を探していたことを私は知っています。租界も病院も全く跡形もなかったことも。
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