2016年11月25日金曜日

幻の租界

秋子さんが残した写真には1910年代の中国と、中国から日本への移動中撮影されたと思われるものが多くありました。ヨーロッパ風の庭園、ロシア正教徒の教会やお墓、中華風の門、巨大な船、電車、荒野、橋、テグの駅、水辺、チョゴリを着た少女、、、。

秋子さんは生まれてから12歳まで、北京の租界ですごしました。辛亥革命から満州事変前夜という中華民国の時代でした。世界中から野心あふれる人々が集う、怪しい、きな臭い、魅力的な人種のるつぼ。。私の曾祖父倉田康太郎も、そんな野心ある一人だったのでしょう。経営していた倉田病院は外科の病院でしたが、非公式に人々が交差する情報基地でもありました。我が家にいまもある清の玉、外務省の高官のカフス、そして宮崎滔天が名付け親の兄と陸軍の大将の娘と結婚した叔父。

北京租界での日々、そこで出会った人々というのは、秋子さんの行動・感性・感覚の基本になっていました。沖縄を中心にアジア全体に旅をし、モチーフと技術を追い求めたのもその影響があったと私は考えています。

今回の展覧会で展示されている「柳あおめる」という作品は経浮織といい、中国奥地で出会った織をもとに秋子さんが開発した織です。この中国奥地旅行の際、中国語を勉強し、北京時代の同級生の力をかり、かつての実家を探していたことを私は知っています。租界も病院も全く跡形もなかったことも。



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2016年秋福岡県立美術館で開催されるコレクション展Ⅱ[山喜多二郎太と高木秋子展の個人的紹介ブログ。高木秋子の家族が書いています。管理人mai